二宮尊徳【二宮金次郎】の名言が心に響く!

二宮尊徳【二宮金次郎】の名言が心に響く! 雑学
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二宮尊徳【二宮金次郎】の名言が心に響く!

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先人たちの底力、知恵泉(ちえいず)10月20日(火)22:00から放送さ

れました。

江戸時代後期の農政家、思想家で通称「金次郎」と一般的には

呼ばれている。

「金次郎」は報徳思想を唱え報徳仕法と呼ばれる農村

復興政策を指導した偉大な人物です。

 

 

 

 

 

 

 

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【二宮金次郎】はどんな人物!

先人たちの底力、知恵泉(ちえいず)10月20日(火)22:00から放送さ

れました。

現在の神奈川県小田原市栢山(かやま)に百姓、利右衛門の長男として

生を受ける。

 

金次郎が4歳の時に父、利右衛門が亡くなってその2年後には

母親のよしも後を追うように亡くなっている。

 

小さなときから苦労を重ねた金次郎の知恵が富を生み

庶民を奮い立たせることに繋がっていく。

 

両親の亡き後は、叔父の万兵衛の家に身をよせている。

叔父の家で農業に勤しむかたわら、生家の復興の為に荒地を開拓し学問に勤しんでいく。

 

金次郎5歳の時に南関東を襲った暴風の影響で、父親の利右衛門の田畑も

流失する。

 

 「小に目をつけ大となす」!

荒れた農地を耕し、捨てられていた稲を植え「小さなことからコツコツ」と努力を惜しまず働き

20歳で再興に成功した尊徳は、地主経営を行う一方で自身は、小田原で武家奉公人として

働いた。

自分に出来る、小さなことから初めて行って大きなことを実現していった。

 

再興を果たした時のことを「金次郎」は後にこの様に語っている。

「幼くして父母を亡くし、困難を体験した私は自分と同じような困難を抱える

他人には、涙を禁じえないそのような人の役に立つことをしたい」

 

素晴らしい考えかたをもっていた「金次郎」ですね。

 

二宮金次郎流「財政再建の極意」

財政の徹底研究にある。

財政を何年分も、徹底的に調べ上げて収入と支出を出していく。

 

暮らしぶりを支出に合わせて変えていく方法。

収入に余剰金を作って貯金、積立、災害、冠婚葬祭の時

人生の突然の出費の時にも役に立つ方法です。

 

財政再建はゆとりとやる気!

生活水準をさげるように意識改革する。

御釜のススモ落す事で熱を通しやすくなり、マキも沢山使わなくて使用人の

働く時間も短縮できる。

 

倹約に貢献した使用人には、ご褒美を出してやる気を与える。

金次郎の具体的な再建策は、武士の世界でも有名になっていく。

 

困っている人を助ける為に、五常講

助け合いの心で救済システムを考えている。

 

普段からお金を集め非常事態の時に備えている。

困っている人に無利子でお金を貸す。

 

五常講は、仁、義、礼、智、信で五つの道徳の心と金融の仕組みが備わっている。

仁 : 思いやりの心

義 : 借りたお金はしっかり返しルールを守る。

礼 : 皆に感謝する。

智 : 知恵を持ち寄る

信 : 皆で信頼し合う

 

天保の大飢饉(1833~1839)の災害時にも使われた。

誰もが被災者という時にお金を出し合う。

 

小田原藩の依頼で村の状況を見回った金次郎は被害の全貌を3つに

分類した。

 

食料も金も足りているのが「無難」

不足しつつあるが「中難」

食料も金も無いが「極難」

 

無難、中難の人に少しでもお金を出してもらって極難の人に無利子で貸し出し助けていく

この精神を推譲(すいじょう)と呼び重視した。

 

二宮金次郎が、立て直した村は約600にものぼるそうです。

天保13年(1842)の56歳のときに幕臣に登録され

農民出身の金次郎は「二宮尊徳」へと成長を遂げている。

 

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